RINこんにちは。
RINです。
本日取り上げるのは、過去の「〜できた」を表す2つの表現、could と was / were able to の違いです。
学校では「could は can の過去形」「was able to も『〜できた』」と習います。たいていの場合、この2つは置きかえ可能だと思われています。
でも実は、置きかえると不自然になる場面があるのです。
さっそくですが、ひとつ質問です。
🚃 昨日、あなたは駅まで全力で走りました。そして、ぎりぎりで終電に間に合いました。
これを英語で言うなら、どちらが自然でしょう?
(A) I ran to the station, and I could catch the last train.
(B) I ran to the station, and I was able to catch the last train.
「どちらも『終電に乗れた』なのだから、同じでは?」——そう感じた方も多いと思います。
でも、自然なのは (B) だけ。(A) は、ネイティブには少し奇妙に響きます。
なぜでしょうか。順番に見ていきましょう。
could が表わすのは「能力」、つまり〈潜在的な力〉
could は助動詞 can の過去形です。そして can / could が表わすのは、あくまでモダリティとして、「〜する力を持っている」という潜在的な能力です
たとえば——
・I could run 100 meters in 12 seconds when I was a student.
(学生時代、私は100mを12秒で走れた)
・She could speak three languages at the age of ten.
(彼女は10歳で3か国語を話せた)
これらはすべて、「そういう力を持っていた」という恒常的・一般的な能力の話です。実際に成功(実現)したかどうかは、ここでは問題にしていません。
could = 過去において「〜する能力・力を持っていた」(一般的・恒常的な能力)
could は「力を持っていた」とは言いますが、「その力を使って、実際にやり遂げた」とまでは言い切らない、ということですね。
was able to が表すのは「実際に成し遂げた」
一方、was / were able to は、その能力を実際に発揮して、首尾よくやり遂げたことを表せます。日本語の「(実際に)〜できた」「どうにか〜できた」に近い表現です。この根拠は、was / were により、話し手が過去の出来事に対して「当該出来事が起こった」ということを断定していることにあります。
冒頭の終電の場面では was able to が選ばれる理由ですね。
・I was able to catch the last train.
(〔走った結果〕終電に間に合った)
これは「終電に乗る能力があった」のではなく、「その一回、現実に乗ることに成功した」という、一回限りの達成を述べています。
言い換え表現としては、
この「達成」のニュアンスは、manage to や succeed in -ing に言いかえられることが多いです。
I managed to catch the last train. も似たような意味となると言えます。
| could | was / were able to | |
|---|---|---|
| 意味 | 潜在的な「能力・力」 | 実際の「達成・成功」 |
| 一回限りの成功(肯定文) | △〜✗ 不自然 | ◎ 自然 |
| 一般的・恒常的な能力 | ◎ 自然 | ○ 可 |
| 言いかえ | ― | managed to / succeeded in -ing |
could=潜在的な「能力・力」。一般的な能力なら自然だが、一回限りの成功(肯定文)では不自然。
was able to=実際の「達成・成功」。一回限りの成功に自然(≒ managed to)。
ただし——could が使える場面もあります
「では、一回限りの成功はいつも was able to なのか」というと、そうとも限りません。could が自然になる例外が、大きく3つあります。
① 否定文では、couldn’t が使えます
興味深いことに、否定文ならば一回限りの出来事でも couldn’t で問題ありません。
・I tried hard, but I couldn’t open the door.
(頑張ったが、ドアを開けられなかった)
「実際にやり遂げた」という含みが問題になるのは、成功を述べる肯定文のときだけ。否定文では was able to が担う「実際に起こった」という断定そのものが打ち消されるため、もともと実現を含意しない could でも不都合が生じないと考えられます。
② 知覚・思考を表す動詞では、could が自然です
see, hear, feel, smell, understand, remember などの知覚・認識を表す動詞では、一回限りの場面でも could がふつうに使われます。
・From the hilltop, I could see the whole city.
(丘の上から、街全体が見えた)
・I could hear someone crying next door.
(隣で誰かが泣いているのが聞こえた)
・I could understand most of her French.
(彼女のフランス語はだいたい理解できた)
これらは、知覚能力があった時点で、当該出来事の達成を意味するためでしょう。「たとえば、見る能力があったということは、その瞬間に「見た」という行為は達成している」ことになる。両者に意味の相違がないのであれば、短い単語の方(すなわち、could)が選ばれやすいのは自然でしょう。
③ そもそも一般的な能力の話なら、could でOK
最初に見たとおり、「学生時代は速く走れた」のような恒常的な能力であれば、could がむしろ自然です。was able to も使えますが、could で十分です。
📜 もう一歩踏み込みたい
この could / was able to の対立は、言語学では「実現含意(actuality entailment)」という観点から論じられてきました。
能力を表す法助動詞が完了的・一回的な相(アスペクト)と結びつくと、「その出来事が現実に起こった」という含意が生まれる——これは Bhatt (1999) や Hacquard (2006) が複数の言語にわたって指摘した現象です。
英語では、まさに was able to +一回的な出来事 がこの「実現」を引き受け、純粋な法助動詞である could はそれを引き受けません。Leech の Meaning and the English Verb や Palmer の記述も、この「能力を持っていたこと」と「能力を実現したこと」の区別として整理することができます。
おまけ:could have + 過去分詞
ちなみに could have +過去分詞 は、「(実際にはしなかったが)〜できたのに」という反実仮想を表します。
・I could have caught the train (but I didn’t).
(終電に間に合えたのに〔=間に合わなかった〕)
ここでも could は「潜在的な力」にとどまり、現実の達成からは一歩引いています。そう考えると、すべてが一本の線でつながりますね。
まとめ
could … 過去の「能力=潜在的な力」を表す。一般的な能力・否定文・知覚動詞では自然。
was / were able to … その力を発揮して「実際に成し遂げた」一回限りの達成を表す(≒ managed to)。
同じ「できた」でも、could は「やればできる力があった」、was able to は「現実に、やってのけた」。
この一歩の差を意識すると、あなたの英語はぐっと正確になります。



それでは、また次回。
One Word, One World.